ここでもいくつか紹介したことであるが、イタリア人のアーティストを日本に連れてきてコンサートを行うことがこのところのわたしの生業となってきている。それもあってこの2023年は日本にいる時間がいつもよりかなり長い。
2020年、コロナが欧州に広がりはじめた3月末、それを逃れるように帰国した時は6月まで実家に留まり、それがこの30余年の中で一番長い日本滞在となった。それでも3カ月強、今回はすでに4カ月を超過している。
コロナ禍においての日伊間の行き来は、たしかに渡航前、渡航後の検査(PCR)が頻繁にあって、到着後、指定ホテルへの強制隔離(すでに懐かしく)などもかなり締めつけが厳しく、また、何よりもウィルスへの感染が心配(わたしも一度機内感染あり)だったこと。そのような時分に飛行機に乗って海外へ行こう、あるいは日本へ出掛けよう、という動きは制限されていて渡航者の減少は否めなかった。仕事での渡航もかなり厳しいものであって、行き先に国籍のある、あるいは両国のどちらかにレジデンス(滞在の許可証)を持つもののみ往来を許されていた時期もあった。
しかしそのような渦中にあってもわたしは大手を振って旅をしてきた。2020年の秋に日本へ戻り、2021年、2022年もそれぞれ3往復ほどしてきたのである。理由としては郷里に高齢の母を残していること。コロナが蔓延しているからこそ近くにいてあげなければと思ってのことだった。それともうひとつ。実際には興行ごとのできるような状態ではなかったが、仕事が無くならぬようにこれまでお世話になってきた方への挨拶をできる限り欠かすべきではない、という思いがあって日本国内を東へ西へと行脚してきた。もちろん訪ねる相手によっては、どうしてこの時にやって来るの?と不安をそのまま顔に出すものもいたが、それはそれで当然のことであろう。
そのような状況下にあったために、いや状況下にあったお陰でというべきであろうか、航空運賃がかなり安値で売られており、客足が付かないこともあって、意外と簡単に渡航することができたわけである。
いままだ日本に根強く残るコロナも、その他の世界では姿を消してもう昔の話になりかけている。そのような状況に変わったことで、新たに動きだしたことは当然ながら人々の移動が著しく増えたことである。世界中の人々がコロナ明けとともに一斉に動きはじめた。
日増しに増便、航空機が引っ掛かりのない日常に向かって数を増やしていく。数が増えるということは目的地まで動く手段も増えるということだから、当然ながら安価なエアチケットが出回るだろうと考える。しかしそう簡単にはいかないのである。
もちろんウクライナ事情も影響しているのであろうが、エアチケットの高騰が顕著である。これまで頻繁にできていた空の旅がこのような事情もあってわたしにはかなり難しくなってきている。長く日本へ留まらざるを得なくなった理由である
堂満尚樹(音楽ライター)
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